利尻島
(参考文献)
利尻島観光ポータルサイト:https://www.rishiri-plus.jp/
ハートランドフェリー(株):http://www.heartlandferry.jp/
利尻富士町役場HP:https://www.town.rishirifuji.hokkaido.jp/rishirifuji/dd.aspx
利尻町役場HP:http://www.town.rishiri.hokkaido.jp/rishiri/
日本でここだけが2町に別れている島です。利尻の語源は、アイヌ語のリ・シㇼ(高い・島)という説が有力。利尻山が島の中心にそびえ立っている火山島である。が、火山記録は見つかっていない。山岳地帯には高山植物がたくさん分布している。島の東側が「利尻富士町」、西側は「利尻町」となっている。
(歴史)
1644年蝦夷地図に「リイシリ」と記載される。文献史料に初めて登場した。
1670年『津軽一統志』に、和人と利尻に住むアイヌ(300人ほど)との間で海産物の交易をしていた様子が記載される。この記事から、すでに松前藩によるリイシリ場所が開かれていたと考えられる。
1787年 フランス探検家ラ・ペルーズ、宗谷海峡通過中に見た利尻島を「ラングル島」と命名する。
1807年 ロシア人による利尻島襲撃事件が起き、商船が焼き払われ島民が捕虜に捕られる。
1808年会津藩士の(本泊、慈教寺)幕府の命により、会津藩士ら252名が利尻に派遣され北方警備にあたる。島内には、警備に伴い命を落した藩士らの墓8基が、鴛泊ペシ岬と本泊、種富町に残されている。
・明治時代
1869【明治2】年蝦夷地が北海道に改称され、利尻島は北見国利尻郡に区分される。
1876【明治9】年北海道に大小区画が設定され、利尻郡は第28大区4小区に区分される。
鴛泊に利尻扱所が置かれる。
1878【明治11】年鴛泊、石崎、鬼脇、仙法志、沓形、本泊の6村が置かれる。
1880【明治13】年鴛泊に利尻郡各村戸長役場が置かれる。戸数88戸、人口368人。
1885【明治18】年小樽との航路が運航される。
1902【明治35】年鴛泊港(明治44年)二級町村制施行。鬼脇・石崎が鬼脇村、鴛泊・本泊が鴛泊村になる。
・大正時代
1915【大正4】年 この年の利尻郡のニシン漁獲高10万㌧超える。
・昭和時代
1936【昭和11】年宗谷丸稚内利礼航路が運航される。
1955【昭和30】年 鬼脇港のニシンの汲み入れ(昭和20年代?)この年を境にニシンが獲れなくなる。
1956【昭和31】年 鬼脇・鴛泊合併し、東利尻村に、沓形・仙法志合併し、利尻町になる。
1959【昭和34】年 東利尻町になり、鴛泊に役場新庁舎建設される。
1962【昭和37】年 利尻空港開港する。
・平成時代
1990【平成2】年 町名変更により利尻富士町になる。
1993【平成5】年 小樽利礼航路が閉航される。
1999【平成11】年 利尻空港ジェット化により、利尻‐新千歳線が運航される。
2011【平成23】年 北海道エアシステムによる、利尻‐札幌丘珠線が運航される。
利尻島の観光したいところ(個人の意見です)
・道の駅・・・残念ながらありません。
・乗り鉄・・・残念ながらありません。
・お 城・・・残念ながらありません。
・温 泉・・・2つあります!利尻富士町の利尻富士温泉(利尻富士温泉保養施設)と利尻町の利尻ふれあい温泉(ホテル利尻)です。なお、温泉施設は、実はもう一つあります。総合交流促進施設「北のしーま」というとこです。が、利尻富士温泉からローリーで温泉を配湯しているのでPASSさせてもらおうかな。
何はともあれ温泉!ということで旅の計画です。
まずは、飛行機を使う旅行!
JAL系は年中飛んでいるようですが、ANA系は季節限定のようです。
まずは、JAL系の夏場の時刻表で本数を確認!!
空路
★丘珠⇔利尻 通年で運航 HAC 1日1往復
★新千歳⇔利尻 6月~9月のみ運航 ANA 1日1往復
運行時間は月により変わりますので、都度ご確認ください。
フェリー(HeartLandFerry)
1日2、3便運行があります。 季節により便の増減がありますのでご注意ください。
<1月1日~4月20日・11月1日~12月31日>
★稚内~利尻鴛泊 1日2往復
★礼文香深~利尻鴛泊 1日1往復
<4月21日~5月31日・10月1日~10月31日>
★稚内~利尻鴛泊 1日3往復
★礼文香深~利尻鴛泊 1日2往復
<6月1日~9月30日>
★稚内~利尻鴛泊 1日3往復
★礼文香深~利尻鴛泊 1日3往復
★礼文香深~利尻沓形 1日1往復
しっかりした時間が決まるまで保留にします。何とか1泊2日の弾丸ツアーを計画しよー。
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